第一四五回國會 内閣委員會(一)

   平成十一年七月一日(木曜日)午後一時三十分開議

 【出席委員】   委員長            二田 孝治君
   出席國務大臣 國務大臣(内閣官房長官)野中 廣務君
   出席政府委員
     内閣總理大臣官房内政審議室長    竹島 一彦君
     内閣法制局長官              大森 政輔君
     内閣法制局第二部長           宮崎 禮壹君
     内閣總理大臣官房審議官        佐藤 正紀君
     防衞廳防衞局長              佐藤  謙君
     文部省初等中等教育局長        辻村 哲夫君
     文部省教育助成局長           御手洗 康君
     文化廳次長                 近藤 信司君
   委員外の出席者
     内閣委員會專門員            新倉 紀一君

本日の會議に附した案件  
     公聽會開會承認要求に關する件  
     委員派遣承認申請に關する件
     國旗及び國歌に關する法律案(内閣提出第一一五號)  

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<本委員會では、國歌國旗法についての質問者が6名もゐたので、ここでは西村愼吾委員の質問を冒頭に置き、以降は參考までに載せた。>

{西村眞悟委員}
  ○二田委員長 次に、西村眞悟君。
  ○西村(眞)委員
 西村眞悟でございます。一昨日の本會議で政府の御答辯をお伺ひしてをりまして、ほぼ御答辯は盡くされてをると私は感じてをります、すべてに答へられたと。ただ、この委員會での機會をいただきまして、政府の御答辯を前提にして、私なりに疑問に思つてゐることをたださせていただきたいと存じます。

さて、一昨日も、また本委員會でも、御答辯の趣旨は、國旗・國歌は我が國は現在も保有しておつて、そして、既にこのやうにして存在する國旗と國歌を本法律により確認するものである。したがつて、ケルン・サミットにおいてもはためいてゐた日の丸、また演奏されたであらう君が代、また現在も國會議事堂の上にはためいてゐるこの日の丸は、現在も日本の旗であり日本の歌である、このやうに前提として御答辯されてゐるといふことでよろしゆうございませうか。確認のために御答辯をいただきたいと存じます。

○竹島政府委員
 國旗・國歌を法制化するのは、かういふ法案の形でお願ひ申し上げてゐるのは今回が初めてなわけでございますが、さういふことで「國旗は、日章旗とする。」。日章旗であるといふのではなくて、「日章旗とする。」「國歌は、君が代とする。」といふ、「である」ではなくて「とする」といふ表現は、今回の法制化に當たつてこちらの方がふさはしい、適當である、創設的な規定の方がふさはしい、かういふ判斷でございます。
 しかしながら、その判斷に至る背景といたしまして、今委員御指摘のとほり、日の丸と君が代が長年の慣行として國民の間に定着してゐるといふ事實をもつてこのやうな成文化を圖るといふことは、間違ひはございません。

○西村(眞)委員
  今御答辯をされた。政府は、例へば今の御答辯では、私の質問の通告を先取りされて御答辯されてゐるんですが、創設的だと言はれた。この法律によつて日の丸が國旗となる、君が代が國歌となる、それがふさはしいと言はれたといふことは、ケルン・サミットで翻つてゐたあの旗は、今法律がない以上、あれはどこの國の旗だと思はれてゐるんですか、あなたは。

○竹島政府委員
  さういふことではございませんで、從來から政府は、國旗・國歌について、國旗は日の丸であり、國歌は君が代であるといふことは、慣習ないしは慣行として定着をしてゐる、したがつて、國旗・國歌として、政府のみならず國民の間でさう扱はれてゐるといふふうに、さういふ理解に立つてございます。

 ですから、根據を慣習とか慣習法に求めるのではなくて、今回はそれを成文化するといふことでございまして、その成文化に當たつては、規定のしぶりは「國旗は、日章旗とする。」といふ規定ぶりが適當である、かういふことでございます。

○西村(眞)委員
  慣習に基づいて、今も法律がないわけですから、我が國は國旗も國歌も持つてをるんです。これは共通認識だと思つて質問してをるんですが、先取りされて言ふものですから、質問の順序が異なつてをる。
  ただ、私がなぜこのやうに聞くのかといへば、既に存在するものを確認する規定なのか、それとも、今まで存在してゐなかつた、それを創設的な法律とこれを見なすのかといふ分岐點がここにあるんです。假に、創設的だ、この規定によつて初めて國旗と國歌が我が國に創設されたんだといふならば、過去の我が國の日の丸と君が代が果たしてゐた意味を論理的には奪ふことになるから、重要なものだとして伺つてゐるわけですね。

 既にあるものを確認するといふ規定ならば、これは創設的規定ではない。ただ、法律によつて根據を與へられるといふ意味では、おつしやるとほり創設的であらうけれども、それは一つの法律に書けばさうなるのは當たり前の話であつて、法律に書かうが書くまいが、我が國には國歌と國旗が存在するといふことですね。

 それで、先ほど先取りされて言はれたんですが、既に存在するものを確認する規定、訓示的規定と言つてもいいかと思ふんですが、さうであるならば、「國旗は、日章旗とする。」といふ條文の文言は、これは創設的であつて確認的ではないと私は思ひます。

 それは、この文章だけを見てはわかりませんが、例へば、私は生まれたときから男でございます。これを確認する、そのときに、西村眞悟を男とすると言へば、この規定以前に私は何であつたのだらうか。まあ個人的名前を出してもまづいかもしれませんが、御本人は公人として公然とやつてをられるので、カルーセル麻紀みたいな方は、カルーセル麻紀を男とするといふ規定の仕方でいいんです。しかし、私は生まれたときから男であり、それは既に存在してゐることであつて、それを確認する場合は、西村眞悟は男であるといふ表現にしなければならない、論理必然的にさうなる、このやうに思ひます。

 これは、實は、些細なことのやうですが、これを「とする」といふ創設的な文言で規定しておきますと、將來この法律が政治的ないろいろな配慮によつて、國會は法律をつくるところですから、廢止された場合、その瞬間に我が國に國旗と國歌は存在しないことになる。しかし、これを明確に文言上確認的に書いておきますと、この法律が將來なくなつても、我が國に君が代と日の丸の傳統がある限り、今現在がさうであるやうに、我が國は國旗と國歌を持つてゐる國だといふことにおいて何ら變はりはない。紙に書かれた、我々が多數決で決める、この片々たると敢て申し上げます、我が國の長い傳統から見れば片々たるものでございますから、さういふ片々たる法律の浮沈によつて國旗ができたりなくなつたりする事態を避けるために、この問題意識から私は聞いてをるわけですが、これはいかがですか。「國旗は、日章旗とする。」と。先ほど例を擧げました。西村眞悟を男とするといふのがふさはしくないやうに、傳統に基づいて既にある以上、國旗は日章旗である、國歌は君が代である、この文言が、今審議してゐるこの法律の背後にある社會的傳統と實態から見れば極めてふさはしいと私は思ひますが、いかがでございますか。

○大森(政)政府委員
  非常に論理的追求に基づく御意見で傾聽してゐたわけでございますが、その點については私はこのやうに思ふわけでございます。
  現在、國旗についても、そして國歌についても、ある規範が慣習法として成立してゐるといふことを申し上げてきたわけでございますが、その慣習法として存在してゐる規範の内容といふのは、やはり、國旗は日章旗とする、國歌は君が代とするといふのが規範の内容だらうと思ふのです。

 今回、法制化いたしまして、今御審議いただいてゐる法案が成立いたしますと、法源、法發現の形式としては慣習法から成文法になる。しかし、規範の内容は依然として、從前あつた、慣習法として存在してゐたものが成文法として存在するといふ點以外の變化はない。依然として規範の内容は、國旗は日章旗とする、國歌は君が代とするといふ創設的な内容を持つ規範が續いていくのであらう。
  分析的に説明しますと、そのやうにならうかと思ひます。

○西村(眞)委員
  論理明快な長官としては極めてちよつと、私は納得できない。
  といふのは、私が男であるといふこの事實は、西村眞悟を男とするといふ規範が私が生きてゐる限り無限に續いていくのですか。日々それが創設されながら續いていくのですか。違ふのですよ。私は、事實、實態、立法事實といひますか、この法律はやはりそれを確認するんだらうと思ふのです、この法律ができてもできなくても。それは内閣も認めてをられる。

 前には提出は考へてゐないと言はれた。それは、我が國に國旗と國歌が必要でないといふ判斷ではなくて、既に傳統に基づいてあるものですから、そして、ある意味ではそれは日々創設されてゐる。傳統は日々創設されていくのでせう。世代から世代に受け繼がれていくのでせう。それを創設と言つてもいいです。

 しかし、法といふものは、この法律によつて新しくつくるものではなくて、傳統を確認するものだといふふうに私は理解してをるのです。このことについてはあとは表現の問題、「とする」であるか「である」かといふ表現の問題になるわけですが、私が申し上げた今のこの法律をつくる前提としての實態についての御認識は、私は政府と共有してゐると思ふのですが、この點はいかがですか。

○大森(政)政府委員
  私も委員と基本的な考へ方は共有してゐると確信してをります。  ただ、社會的、政治的には、確かに現在ある慣習法の確認といふ意味を持たうと思ひます。しかしながら、法律的に説明する場合には、やはり規範の内容は創設的な表現であるべきであるといふふうに考へてゐるにすぎませんで、共通の認識はずれてゐないといふことで御了解いただきたいと思ひます。

○西村(眞)委員
  それでは一點だけ。
  私は、法は法なきを期すと思つてをります。したがつて、將來、我が國の傳統に基づいて、この法律は廢止だとした場合に、我が國に國旗も國歌もその瞬間でなくなるのですか。それとも、この法律が廢止されても、傳統がある限り、今の傳統が續いてゐる限り、我が國には今現在のやうに日章旗と君が代は存在するわけでせうか。

○大森(政)政府委員
  今御審議いただいてをります法案が成立いたしまして、それが將來廢止されればといふ假定の問題についてのお尋ねでございますが、我々が考へ及ぶことのできる將來においてそのやうなことはないのぢやなからうかと確信するわけでございまして、將來どういふ、そのときにもし萬が一さういふことがあるとしました場合には、その理由が一體何であらうかといふことを拔きにしては、今の問題について答へはかうであるといふことはなかなか確言できないのではなからうか。なかなか難しい御質問であると考へるわけでございます。

○西村(眞)委員
  私は論理を聞いてをります。私は、今まで法によつて國旗と國歌が定まつたのではない以上、また、將來、現在のやうに法律がないけれども國旗と國歌が存在する事態を想定してもいい。その想定される事態の論理を聞いてをるわけですね。だから私は、この法律は確認的、訓示的法律であつて創設的法律ではない、このやうに思ふわけです。

 したがつて、私の意見として心に入れておいていただきたいのは、文言の表現については細心の注意をして、萬人が、これは確認的規定であると。私を、西村眞悟を男とするといへば、ある人は、ああ、では彼は男とするとされる前は男ではなかつたのかといふ疑問を生じる。しかし、西村眞悟は男であるといふ表現をすれば、彼は生まれたときから男であつたといふことになるわけですね。

 さういふことを申し上げて、これ以上このことについては申し上げませんが、これは私は非常に重要なことだと思つてをりますので、官房長官もをられますし、どうかお心におとめ置きいただきたいと存じます。

 さて、既に傳統に基づいてさうなつてゐるものといふことについては認識は共有してをります。そのときに、論理必然的に何が出てくるのかといへば、君が代の歌詞は傳はつてきたままの姿、すなはちこれは和歌であります。口語文ではなくて文語文である。したがつて、現代假名遣ひではなくて歴史的假名遣ひによつて法律上も明記しなければならない、このやうに思ひます。

 今お手元にあつて、私も調べてきたのですが、衆議院の調査局内閣調査室が資料として配附されたのですが、ここにもちやんと載つてをります。二百一ペーヂ、内閣訓令第一號「「現代假名遣ひ」の實施について」この一番下の4。これは、「假名遣ひは、主として現代文のうち口語體のものに適用する。原文の假名遣ひによる必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。」つまり、現代假名遣ひといふものは、現代文のうち口語文に適用するのです。

 そして、同じ内閣告示の8を見てください、二百二ペーヂをめくつて。そこにはかう書いてある。中段、「歴史的假名遣ひが、我が國の歴史や文化に深いかかはりをもつものとして、尊重されるべきことは言ふまでもない。」

 君が代の歌詞の生成については政府も御答辯されてをりますし、再び繰り返さうとは思ひませんが、古今和歌集に原歌があつて、古今集註、この和歌集の注釋書、文治元年、一一八五年成立の注釋書には、「此歌、ツネニハ「キミガヨハチヨニヤチヨニ」トイヘリ。」とあります。八百年以上前にこの原型がもうあるわけですが、明らかに和歌です。明らかに、口語體ではなくて文語文です。

 そして、内閣告示によりますと、現代假名遣ひは口語文にする、現代假名遣ひは現代文のうち口語文に限る、歴史と傳統に基づく歴史的假名遣ひを尊重することは言ふまでもない、このやうにあります。

 さて、君が代のこの歌詞が和歌として我々の現在まで傳はつてをりますけれども、全體の文字遣ひを漢字假名まじりの文の姿にふさはしく整へて我々のもとに傳はつてをるわけです。したがつて、歴史的假名遣ひこそがこの君が代を法律上表記するにふさはしいと、私は確信を持つて御質問をしてをります。

 しかるに、この別記第二、「君が代の歌詞及び樂曲」については現代假名遣ひになつてをります。これは、内閣告示自體を無視するものでございます。

 ちなみに、漢字假名まじり文の姿といふのは、「いわお」はこのやうな難しい巖でございます。「こけ」といふのも、この字を當ててをります。そして、假名は、この別記に附されてをるやうに「いわお」ではなくて「いはほ」です。内閣告示自體に反した法文をつくられたんです。これについてはいかが見解をお持ちですか。

○竹島政府委員
  今回の法文の作成に當たりましては常用漢字表を用ゐるといふことでございまして、おつしやるとほり古歌でございまして、古今和歌集、和漢朗詠集のときの表現とは違つてをりますけれども、あくまでも成文化するに當たりましては現代語をもつて表記するといふことが原則でございまして、その場合の文字は常用漢字表にある漢字を使ふ、かういふことになつてをりますので、巖にしても、苔にしても、そのやうに平假名でさせていただいてゐるところでございます。

○西村(眞)委員
  お答へになつてゐない。
  法案を國會に提出する、特に、傳統と歴史に基づくものを確認する法案においては、もう少し愼重でなければならない。内閣告示において、今朗讀しました昭和六十一年中曾根内閣總理大臣の告示、これに明確に書いてあるんです。

 君が代の歌詞は和歌でございます。口語文ではなくて文語文でございます。これは認められると思ふ。そして、この法律自體が傳統としてあるものを確認するといふことにおいて、政府と質問してゐる私は共有の認識を持つてをる。しからば、内閣告示のとほり、歴史的假名遣ひは我が國の歴史や文化に深いかかはりを持つものとして尊重されるべきことは言ふまでもないわけでございます。そして、君が代こそ、我が國の歴史や文化に深いかかはりを持つがゆゑに現在まで、千年、人々の心の中で歌はれてきた、傳はつてきたものでございます。

 先ほどのはお答へになつてゐない。なぜ、内閣告示と違ふ、現在に生きる私どもが勝手にこの和歌を現代の口語體に適用される現代假名遣ひに書き改めて子々孫々の子供たちに傳へようとしてゐるのか。歴史、傳統に基づくものは尊重してしかるべきだ。したがつて、現代の假名遣ひではなくて、歴史的假名遣ひによつて傳へるのがふさはしいと私は申してをります。官房長官、いかがでございますか。

○竹島政府委員
  君が代が平安時代から歌はれてゐるまさに古歌であつて、詠み人知らずでございますけれども、さういふ非常に歴史があつて、かつ、祝ひ歌として民衆の間でも長く歌ひ續けられてきた、謠曲でも取り上げられてきた、かういふものであるからこそ、慣習として明治政府になりましてから國歌として君が代が選定されたといふことだと思ひます。

 さういふ歴史を經て、今回の法制化に當たりまして、「國歌は、君が代とする。」といふふうにさせていただいてゐるわけでございまして、君が代のいはれなり歴史的重みなりといふことについては全く同じ考へ方と申し上げていいと思ふのでございますが、では、法律にどういふ表現、假名遣ひをするかといふことにつきましては、やはり、その經緯と法文をどう書くかといふことは、私どもは別な話であると。

 これは、古典としてそのまま書くといふことではなくて、さういふ歴史なり經緯のある歌を日本は明治以來國歌として歌つてきたわけでございますが、それを平成のこのときに成文化するに當たつては、やはり、昭和五十六年の政府における申し合はせ、政府の申し合はせでございますけれども、全部の法律がそのルールに基づいて提案されてゐるわけでございまして、現代語で、常用漢字表をもつて法律をつくるといふことでさせていただいてゐますので、さういふ表現ぶりをとらせていただいたといふことをぜひ御理解いただきたいと思ひます。

○西村(眞)委員
  これは到底理解できない。

 申し合はせで、昭和五十六年の申し合はせ、後法は前法を否定するといふ原則に基づいて、昭和六十一年七月一日の中曾根内閣總理大臣の告示を私は引用して申し上げてをるのに、全く答へになつてゐない。私は、政府と問題意識を共有してゐるがゆゑに、この問題について入れる段階に來たと思つて今お聞きしてゐるわけです。

 あなた方が、まあ、言つたら失禮ですが、今答辯されたやうな次元で、どこの申し合はせかわからぬ、しかし昭和五十六年の申し合はせでさうさせていただいた、御理解いただきたいと。しかし、昭和六十一年七月一日の中曾根總理大臣の内閣告示はどうなるんだ。これこそまさに、認められたやうに、我が國の古歌であります、古い歌である。そして、口語體ではなくて文語體なんです。口語體に現代假名遣ひをそのまま、これはよろしい。しかし、これは讀んでみれば文語體そのものぢやありませんか。そして、さうであるがゆゑに重みがある、さうしたわけでせう。これは、やはりこの部分については細心の注意を拂はねばならない部分なんです。我が國の傳統といふものがいかなるところから來つて、我々はいかに子孫にその傳統を傳へるのかといふ文化なんですよ。

 フランスは國語を重んじる。我が國も國語を重んじなければならない。言葉こそが傳統を傳へる唯一の要素でございまして、言葉から傳統を奪つてはならないと私は申し上げてをるわけです。御答辯については繰り返しになる、なりますはな。

 委員長、私はこのことを申し上げ、委員長も私の質問をお聞きになつて、今の私の問題意識についてわかつていただけたと私は確信するわけですね。これは別に與野黨の問題ではなくて、この法案をつくるのならば、古歌であるといふ共通認識はすべて持つてをるわけです。そして、内閣告示にもあるやうに、假名遣ひについては、口語體については現代假名遣ひはいい、しかし、文語體については、ここにありますやうに、「歴史的假名遣ひが、我が國の歴史や文化に深いかかはりをもつものとして、尊重されるべきことは言ふまでもない。」。我が國の國歌君が代こそ、我が國の歴史と文化、そして國の形に深いかかはりを持つそのものなんです。

 どうか委員長におかれては、この質問の中で、私は政府のあの方々と押し問答をして、あの方たちは一旦出してしまつたことをここでは言へぬのだと思ひますけれども、それは審議の中でこのことについてお取り上げいただきたく、委員長の權威におすがりして申し上げるわけです。よろしくお願ひいたします。

○二田委員長 後ほど……。

○西村(眞)委員
  次に、君が代は大和言葉なんですね。それで、これもまた、先ほどお配りいただいたこの資料、國旗は日章旗だと書いてある。私は、日章旗といふ言葉がいつあらはれたかわかりませんが、日の丸といふ言葉、この大和言葉が、君が代も大和言葉なら日の丸も大和言葉だといふ意味で、私どもの口に出る、我が國の旗は何ですかと子供に聞けば、日の丸と。私どもの小さいときは、白地に赤くといふことを小學校で教へていただいた。そのときに、日章旗といふことで私どもはその歌を歌はなかつたわけですから、歴史と傳統があつて、現在もこの衆議院の上に翻つてゐるあの旗は我が國の國旗であるといふことを確認する以上、日章旗といふ呼び名一つではなくて、日の丸といふ言葉も法文によつて子孫に傳へるといふ問題意識が必要ではないかな、そのやうに思ひます。事實、この資料についても、一ペーヂの目次の第六には日の丸、日の丸ですよ。日章旗とは書いてゐない。

 ともに君が代と日の丸、大和言葉で表記して傳へませうやといふ私の提案ですが、いかがですか。

○竹島政府委員
  委員のおつしやることはわからないわけぢやないのでございますけれども、政府における檢討で日章旗とさせていただきましたのは、日の丸といふ場合には、先ほども御答辯申し上げましたけれども、いはゆる日の丸の旗、日章旗とイコールの日の丸の旗を意味するといふふうにも使はれてをりますが、別途、その赤い部分、紅色の部分の丸を指すといふ意味にも使はれてをります。したがひまして、正確を期す意味で日章旗といふふうにさせていただいたわけでございます。

 今委員のおつしやつた物の考へといふのは全くわからないわけぢやないのでございますけれども、さういふ意味で、大和言葉で統一をしたといふことではない、今のやうな檢討を踏まへて日章旗といふ言葉を使はせていただいたといふことでございます。

○西村(眞)委員
  かういふ歴史と傳統に基づくものを確認していく法律の審議においては、やはり政治家同士の一つの話し合ひといふ意味で、對立するんぢやなくて話し合ひといふ意味での對話がこの場でなされて、そして、論理としてそれが正しいな、なるほどだなといふふうに進んでいくのが審議としては一番ふさはしいなと思ひます。あなたの立場はわかります。わかりますけれども、あなたは、さうさせていただいた、御理解いただきたいと言へる立場ではない。歴史と傳統なんですから、相手にしてをるものは。

 さて、本法を速やかに成立する、ただし、私の先ほど言ふた問題意識において、それが正しく子孫に傳はるべく、形をとつて速やかに成立することを私は望んでをります。

 この後に考へるべきことについてお聞きします。

 刑法九十二條だと思ひますが、これは外國の國旗を毀損した者に對しての罰則を定めてをります。この刑法九十二條は、條文の位置から見て、外國の國家的法益に關する罪でございます。外國の國旗を毀損すれば、これは國家に對する罪、國家の法益を侵害したといふことでございます。翻つて、現在の我が國の状態は、日の丸を、國旗を毀損すれば器物損壞罪に問はれるだけでございます。しかし、御承知のとほり、器物損壞罪といふものは、個人的法益、私が持つてゐたものをつぶされたといふ私一人の個人的な法益であつて、そこに何ら公共性といふものを示す罰則ではありません。

 刑罰自身が公共の秩序を守ると言つてしまへばそのすべてが公共と關係するのですが、刑法典は、國家的法益、社會的法益、個人的法益を分けて規定してをりますから、個人的法益の部分で我が國の日章旗を、また日の丸を毀損すればそれで濟まさざるを得ないのに、外國の國旗に關しては國家的法益として刑法九十二條がきかされてをる。これはいかんともしがたいことではなくて、我々立法者としては、これは變革しなければならない。國家の示す旗を毀損した者は、個人的法益ではなくて國家的法益において裁くべきだ。したがつて、これによつて國家は國旗といふものを大切にする、それを毀損したる者は國家的法益を犯す者だといふことを明確にできるわけです。

 このやうな立法の方向が必要だと私は確信するものですが、官房長官、いかがでございませうか。

○野中國務大臣
  このたび法制化をすることにいたしましたことは、從來國民の中に定着はしたとは申せ、慣行的に定着をしてきたものでございますので、明確に日の丸を國旗とし、それを日章旗と言ひ、さらに、君が代を國歌とすることによつて根據を明確にしたいと考へたところでございまして、政府の意のあるところを御理解いただきたいと思ふわけでございます。

○西村(眞)委員 まあ將來の課題でございます。

 さて、せつかく官房長官に御質問の機會を與へられたものですから、私は、全く今の主題とは違つて、委員長、非常に失禮いたしますが、一點だけお聞きしたいと思ひます。

 なぜなら、防衞廳は内閣のエーヂェントで、官房長官にお聞きして、その問題意識を持つていただきたいと常々思つてゐたことがございます。つまり、駐在武官制度でございます。防衞駐在官制度でございます。

 御承知のとほり、各國は駐在武官制度を持つてをりまして、接受國からナショナルでの招待状は、各國通例として、我が國特命全權大使そして駐在武官のトップ、この二通來るわけですね。といふことは、國際儀禮上、駐在武官といふものはそれほど獨自の地位をもつて國際社會で遇されてゐるわけです。

 しかるに、我が國駐在武官制度はいかなる根據によつて出來つたかといへば、昭和三十年の八月八日の事務次官の覺書によつてできてをります。この覺書は「一、在外公館に勤務する防衞廳出身の外務事務官が自衞官の身分を併せ保有する場合は、自衞官の階級を呼稱し、その制服を着用することができる。」「二、右外務事務官は、」これは自衞官のことですが、自衞官は、身分を剥奪して外務事務官になつてをります。「外務事務官は、防衞廳設置法、自衞隊法等の規定にかかはらず、身分上及び職務上、もつぱら外務大臣及び在外公館長の指揮監督に服する。」事務次官レベルで、國會が制定した法律の規定にかかはらずといふことを書いてをる。「三、右外務事務官は防衞廳との直接通信を行はず、且つ、獨自の暗號を使用しない。」「四、右外務事務官のため防衞廳は、獨自の豫算を配布しない。」

 さて、今申し上げた在外公館における獨自の地位を占める駐在武官といふものは各國では、もちろん米國、フランス、ドイツでは日本と同じやうに、在外公館においては特命全權大使の指揮下にあります。しかし、我が國以外は自衞官の身分を剥奪されてはをりません。これは、文書といふものの中に怪文書といふのがございますが、自衞官の身分を剥奪し外務事務官にし、服だけは軍人の服を着てもよろしいよといふ形で出してをるわけです。身分と服が伴はない。これは文書で言ふ怪文書ならぬ怪人物が我が國の在外公館にをる、極めて不名譽なことでございます。

 したがつて、今防衞廳と外務省との間でこの駐在武官制度をいかにするかといふ協議が始まつたやに聞きますが、所管される官房長官においては、各國と整合性のとれた身分、そしてその行動における通信、聯絡の權限の確保等々を、官房長官の立場から、外務省と防衞廳との間で行はれてゐる協議に仲介の勞をとつていただきたいと存じます。最後に御答辯をお伺ひして、終はりたいと思ひます。

○野中國務大臣
  御指摘の防衞駐在官につきましては、任國にあります大使館におきまして、專門的な知識を生かしまして軍事情報の收集や防衞交流に從事をいたしますなど、我が國の安全保障にとつて極めて重要な役割を擔つてをると承知をしてをるところでございます。また、冷戰後の國際情勢におきましても、このやうな防衞駐在官の任務は、我が國全體の觀點からもより重要になつてきてをるものと承知をゐたすところでございます。

 防衞駐在官は、他の書記官等と同樣に、在外公館員たる外務省職員として職務を行つてをりますけれども、その職務を圓滑に行ふため望ましいと考へるために、自衞官の身分をあわせ持つことによりまして制服の着用と階級の呼稱が認められてをると承知をしてをるのでございます。

 他方、このやうな防衞駐在官の身分に關しましては、外務、防衞兩省間の、委員が御指摘になりました昭和三十年の覺書があるわけでございまして、この覺書の書きぶりにつきましては私も非常に問題を感ずるわけでございまして、委員が御指摘になりましたやうに、現在、外務、防衞兩省廳の間で檢討が行はれてをると承知をいたしてをりますので、兩大臣に、この檢討が早く、適切な結論が得られますやうにお願ひをしたいと考へてをります。

○西村(眞)委員 本法案もあわせてよろしくお願ひいたします。
  質問を終はります。

***********

○二田委員長
  これより會議を開きます。内閣提出、國旗及び國歌に關する法律案を議題といたします。趣旨の説明を聽取いたします。野中官房長官。

 國旗及び國歌に關する法律案 〔本號末尾に掲載〕
―――――――――――――

○野中國務大臣
  このたび、政府から提案いたしました國旗及び國歌に關する法律案につ いて、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
  我が國におきましては、長年の慣行により、日章旗及び君が代が、それぞれ國旗・國歌として國民の間に廣く定着してゐるところであります。そこで、政府といたしましては、このことを踏まへ、二十一世紀を迎へることを一つの契機として、成文法にその根據を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに、この法律案を提出することとしたものであります。
  次に、法律案の内容について、その概要を御説明いたします。
  第一に、國旗は日章旗とすることとし、その制式を定めることとしてをります。
  第二に、國歌は君が代とすることとし、その歌詞及び樂曲を定めることとしてをります。
―――――――――――――

{植竹繁雄委員}
○二田委員長 これより質疑に入ります。
  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。植竹繁雄君。

○植竹委員
  私は、自由民主黨を代表いたしまして、このたびの國旗・國歌に關する法律案につきまして質問をいたします。
  私は、この法案が提案されましたとき、本當に心から感激いたしました。といふのは、二十一世紀を踏まへまして、總理大臣の答辯もあるとほり、本當によくよく檢討されてやられたといふことに關して、私も心から敬意を表するものであります。
  國旗と申しますのは、私も子供のころは本當に國旗を見るたびにあこがれ、國歌を歌ふことによつて身の引き締まる思ひをしたのを子供心に覺えてをるわけでありますが、今日、國旗につきまして、若い世代に、この國旗と國歌といふものに對する感覺が非常に違つてゐるかに思へるのであります。といふのは、私ども、特に國内にをりますより海外に行つたときに、海外でこの日の丸の旗、國旗及び國歌を聞きますとき、本當に日本人として誇りに思ひ、また名譽に感ずるのがこの國旗・國歌でございます。
  さういふ點につきまして、そのほか、例へばスポーツで優勝し、そして國旗・國歌が上がる、あるいはテレビ等におきまして、例へばエベレストを踏破し、そして日の丸が翩翻と翻つてゐる姿、あるいは南極大陸を横斷し、それを日の丸によつて寫つてゐる寫眞を見ますと、本當に日本人の重さといふものを心から感じるのであります。
  しかし、日の丸に關しましては、昨今、例へばこの國會の周邊を見ましても、日の丸があるいはほかの國の國旗が飾つてあるといふことは、外國の賓客のためにあるんぢやないか、あるいはオリンピック等の若い選手を見ますと、優勝したら、日の丸そして君が代といふものが本當にスポーツだけのものが中心であるといふやうな錯覺に陷つてゐる人々が多い。  實は、私も先般若い世代の方に國旗及び國歌について尋ねました。さうしましたら、確かに日本の國歌であり國旗であるといふ人も大勢をりました。しかし、一方では、初めに出てきた言葉が、あれはオリンピックやさういふときに掲げられる、優勝者に掲げられる、その贊意のための日の丸であり、また君が代であるといふことを聞きましたときに、本當に日本の將來はこれでいいのかと非常に疑問に感じたのであります。
  私は、さういふ點におきまして、今回の國旗及び國歌が、これを成文化したといふことは今後日本の將來に關して大いに意義があるんぢやないかと考へるわけであります。これは、長年にわたる日本の歴史の中においていろいろと慣習的にありましたけれども、やはり價値觀がいろいろありますときに、この邊で成文化するといふことは、日本の歴史と傳統を後世に殘していくためにも大變今回の措置は意義があるものと考へるわけであります。
  また、私も先般外國へ行きましたときに感じたのは、とにかくこれは目に見える日の丸、それ以外にも、國歌につきましては、例へば外國では、有名なチャイコフスキー、いはゆるロシアの大作曲家でございますが、この方が作曲したところの一八一二年序曲といふものがあります。これはフランスとロシアの戰爭をテーマとしたものでありますが、その中にいはゆるフランスの國歌であるラ・マルセイエーズといふものが演奏されてをります。さうしますと、すぐこれはフランスであるといふことが一般の耳にわかるわけであります。それを考へるときに、國歌といふものがその國のシンボルであり、またその代表的な表示であるといふことを考へますときに、本當に文化的にもこの國歌といふものが非常に重要なものであることを感じたわけであります。
  私は、それを考へますときに、今二十世紀から二十一世紀へ行くときに、やはり日本の歴史と傳統といふものを後世に殘すためにも、この國旗・國歌を成文化したといふことは本當に意義があり、政府に對して心から贊意と敬意を重ねて申し上げるところであります。
  そして、その反面、私は歴史の重さといふものを感じるわけであります。それは、私は先年中國に參りました。中國に參りましたそのときが、ちようどあたかも、日本の南の東シナ海の島でございました、ある日本人がそこに上陸したといふやうなことが言はれました。たまたまその時間が明日江澤民主席とお會ひする前日でございました。そして私どもは、本當にこの緊急上陸といふことが、外交上中國と日本の間にどれほど弊害になるのではなからうかと心配したわけであります。そして、あれやこれや考へた末、ぶつかつてみようといふことで江澤民主席とお會ひいたしました。
  さういたしましたら、江澤民主席は一言もおつしやらないで、私が驚いたことには、突然に主席は、私が子供のころ習つた「出た出た、月が、まるいまるい、まんまるい」といふやうな童謠を歌はれたのであります。
  そして、その趣旨といふものは、何といつても日中の友好は實に二千年以上の交流がある。さういふことで、今いろいろな物事が起きても、それは一時限のことであり、この日中の友好關係といふものは實に二千年にわたるさういふ大きな流れである。例へば、その間に不幸な出來事があつたけれども、それは一時的な問題であり、そのときのことはその時限で考へるもの。中國と日本との關係を、本當に悠久の二千年以上の交流であるといふことを示唆された。
  そして、それを見てゐるのが、あの丸い丸いお月樣が天上から見てゐるのではないか。さういふやうな中國と日本との關係である。我々はさうやつて手に手をとつて相携へていくのだ、さういふことを示唆されましたときに、本當に中國のその歴史の重さといふことを痛感いたしたわけでございます。
  そこで私は、さういふことを考へますときに、この歴史的な認識と申しますか、歴史の認識の重さといふものは、本當に一國において大變重要であり、今後二十一世紀といひますか、二〇〇〇年といひますか、さういふ新しい世紀に入つていくときに、これは新たに考へなければならないと痛感したのであります。
  そこで、さういふ意味において、この歴史的な重さといふことについて、私は、本當にこの大事な變はり目の今日、これをどうあるべきか。官房長官の御意見を伺ひながら、今後我々は一生懸命日本の進展のために頑張つていきたいと思ひます。官房長官にその歴史の認識についての御所見を賜りたいと思ふのであります。

○野中國務大臣
  植竹委員御指摘のとほり、日の丸・君が代は、我が國の長い歴史認識の中で培はれてきたものであると存じてをるところでございます。
  おつしやいますやうに、一時期これが誤つた方向に使はれたとき、あるいはさういふ時代を經驗をいたしましたけれども、私どもは大きな犧牲の上に新しい憲法をつくることができ、その憲法を基本として今日まで五十餘年、あの忌まはしい戰爭に參加することもなく、また戰爭に卷き込まれることもなく今日を築くことができたこと、これを重く受けとめ、新しい世紀にどのやうにしてこの國が世界に伍していくかを考へますときに、戰後私どもがこの二十世紀中に取り殘してきた幾つかの問題を、この機會に新しい世紀へ引き繼がないやうに何をなすべきかといふことを重く考へていかなくてはならないと思ふわけでございます。過去の歴史をかがみとしながら、未來に向けてこの國が他の國々と伍してやつていけるやうな、さういふ節目にありたいものと考へてをります。

○植竹委員
  官房長官から大變すばらしい御答辯をいただきました。
  本當にこの歴史の認識といふものは、今後我が國の將來にとつて大變重要なことでありますし、さらに、この日本が獨立した、外國から内政干渉といふやうなこともされないためには、どうしても歴史的な認識といふものを確立していくことが私は非常に重要でないかといふことを考へまして、ただいまの官房長官のお言葉を本當にありがたく受けとめてをりますところでございます。  さてまた、國歌君が代でございますが、「君」とは、先般總理大臣が御答辯になりましたやうに、本當に天皇は日本の象徴であるといふことでございます。
  これも歴史的に見ますと、例へば仁徳天皇時代、かまどの煙が立つのを見て、本當に平和で豐かな國であるといふことは古來の歴史の中で言はれてをりますが、私はこれを考へますときに、本當に天皇といふものは穩やかな、そして日本の象徴的にあつた、さういふことを感じるわけであります。
  特に天皇がさういふ地位にありますと、古來から日本を政治的、行政的に統合してまゐりました、例へば藤原時代におきましても公家とか、あるいは平家の關白、攝政といつた卿相、あるいは源氏の征夷大將軍といつた行政の長、さういふものは幾多ありました。しかし、その中にあつても、決してその者が天皇になるといふことはなかつた。天皇はやはり日本のもとであり、象徴であつて、すべてさういふ爲政者が行つてきたといふことを考へます。
  また、實は先般の第二次世界大戰におきまして、私は忘れ得ない一齣があるわけでございます。私も戰前に生まれた一人といたしまして、本當にあの終戰のときには、大問題だ、今後の日本の將來はどうなるかと危惧したときでございます。
  あの當時、聯合軍の最高司令官だつたマッカーサー元帥が、今日比谷にあります第一生命ビルに天皇陛下が訪問されたとき、初めはマッカーサーは迎へにも來なかつた。そして、日本の天皇制についてあるいは共和制をも考へた、さういふときにあつたとき、あの昭和天皇が、たとへ我が身がいかにならうとも日本の將來を救ふといふ御發言があつたといふこと。それを武人であるマッカーサー元帥はいたく感激し、そして日本の將來、日本を束ねてゐる象徴としての天皇に本當に感激せられまして、天皇が御退室のときには玄關までお送りされたといふことは、まさに日本が天皇が象徴であるといふことを示したのではないかと思つてゐるところでございます。
  さういふことを考へまして、これからの問題は、人間、日本人の象徴としての天皇の位置はこれから不滅であると考へてをるわけでございます。そして、國歌で君が代の「代」といふものは、まさに治世といふことがございますが、これも天皇と日本といふものは一體であつて、それを象徴として束ねてをられるのが天皇陛下である。先般の總理大臣の御答辯も、その象徴といふ點につきまして、國會答辯においてより細かく御説明されたといふことを伺ひまして、大變私は感激したところでございます。
  といふ意味におきまして、今後、この天皇の象徴といふ點につきまして、政府におきましてももつともつと、どういふふうに廣報的に全國民によく知らしめることが必要かと思ひますが、さういふ點につきまして、官房長官におかれましてはどういふふうにこれを全國民に、よりPRといひますか御説明といひますか、さういふふうにしていかれるか。その御意見をお伺ひいたしまして、私の質問を終はらせていただきます。

○野中國務大臣
  日本國憲法はその第一條に、「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。」とされてゐるわけでございまして、御指摘のとほり、象徴には主權を有する日本國民といふ意味が含まれてをると考へてをります。

○植竹委員
  ありがたうございました。
  もうちよつと時間があるので、もう一言伺ひたいと思ふのでございます。
  私は、國旗・國歌といふものは、ずつと今まで來た、國旗の場合は長年の慣習の中においていろいろと使はれてまゐりましたが、今回國旗・國歌を成文化したといふのは、今まで申し上げましたとほりでございますけれども、慣行と慣習とどういふふうに違ふのか、その點を最後にお伺ひいたしまして、私の質問を本當に終はらせていただきます。

○竹島政府委員
  國旗・國歌について、慣習とか慣行とかといふことが言はれますけれども、私どもは、國旗につきましては、これは今回の國旗法とは違ひますが、明治三年の太政官布告における商船規則といふものがございまして、それが日の丸の旗の制式として定着をしてゐたといふことにつきましては、慣習法といつてもそれにふさはしい實態があつたかなと。
  ただ、國歌君が代につきましては、法律的なものは一切ございません。ただ、古今和歌集に起源を發する古歌に始まつて、その後ずつと時代を經て、民間の間で祝ひ歌として歌はれて、明治になりましてこれが國歌であるといふ意思が表明されました。ただ、それは法律的な行爲ではございませんでした。ただ、それが事實上慣習として國歌として國民の間に定着してゐる、そのことを慣習と表現してをるわけでございます。

○植竹委員
  ありがたうございました。以上でもつて終はります。

{佐々木秀典委員}
○二田委員長
  次に、佐々木秀典君。

○佐々木(秀)委員
  民主黨の佐々木秀典です。
  いはゆる國旗・國歌法が提案をされるに當たつて、そしてされてから、我が黨では、民主黨の中に國旗・國歌問題のプロヂェクトチームをつくりました。私もそのメンバーでありますけれども、プロヂェクトチームでは六回にわたつて討議を行つてをります。眞劍な討議が行はれてをります。
  率直に言つて、我が黨ではこの法案に對して、黨としてどうするのかといふことについてはまだ最終的な結論を得てをりません。きのうも報道されましたけれども、私どもの黨では法案に對する對應の機關として總務會がございます。これは、與黨の自民黨さんにもおありになることと思ひますけれども、昨日夕方からこの總務會で國旗・國歌法案についての議論が行はれてをりますけれども、ここでもさまざまな意見があつて、まだこれも最終的な結論に至つてをりません。
  プロヂェクトチームの中でも本當に各種の意見が出されました。國旗として日の丸、國歌として君が代、それについては贊成だといふ意見、あるいはそのものについても反對といふ意見、あるいは日の丸を國旗、君が代を國歌とすることについては贊成だ、しかしこれを法制化することについては、それについても贊成だといふ意見、あるいは、いやいや、それについては必要がないあるいは反對だといふ意見、非常にいろいろな意見が出てゐるわけであります。
  他黨と比較をして民主黨の態度ははつきりしてゐないではないかといふ御批判もあるやうでありますけれども、それだけ我が黨は一人一人の黨員議員が眞劍にこの問題について考へ、協議に參加してゐるといふことをぜひ御理解いただきたいと思ふのであります。
  國旗・國歌法案が今、國會に提出されて議論されてゐるといふことは、今までにないことはなかつたやうであります。このことについてはまた後ほどお聞きいたしますけれども、しかし、今政府が出してこれを成立させようとしてゐることは、今までかつてないことであるだけに、私は大變重要な問題だと思つてをります。
  確かに、國旗として日の丸が大方から認められてゐるのではないか、あるいは君が代についても、戰前から今日にかけて、國歌として一般的な承認を受けながら、演奏されあるいは歌はれてきたのではないかといふことが言はれてゐる、これが大方の國民の間に定着してゐるのではないか、このことについてもまた後ほど議論させていただきますけれども、さういふことが言はれてゐるのは間違ひありません。
  しかし、たとへ國旗として日の丸が、あるいは國歌として君が代が、さういふ認識のもとに使はれ、歌はれてきたとしても、それを法律によつて定めるといふことについてはいまだかつて我が國ではなかつたわけであります。それをやらうとしてゐる。
  このことについては、官房長官もお話がありましたやうに、過去の忌まはしい歴史、特に戰爭の歴史の中で、特に國旗は、ある意味では日の丸は氣の毒だつたと私は思ふのですけれども、侵略の歴史、その旗印にされたといふことは紛れもない事實であります。
  そしてまた、君が代も、戰後新しい憲法ができるまでの間、日本は主權在民の國ではなかつた。天皇を中心にしたまさに君主國家であつた。そして、その君主である天皇をたたへ、天皇の御代の榮えを願ふ歌、それが君が代だつたといふ認識は、まさにその當時の國民の間には定着してゐたと思ふのであります。
  實は、私は北海道の旭川市で生まれ育ちましたけれども、くしくも私の母校であります小學校は旭川市立日章小學校と申します。日章旗の日章といふ字が使はれてゐるのであります。ただ、さうはいつても、實は私は小學校といふ學校には行つたことのない世代であります。
  と申しますのは、私は一九三四年、昭和九年の生まれですけれども、小學校に入つたのが昭和十六年、まさに第二次大戰がその十二月に起こつたわけですけれども、その年の一年生。私どもがその小學一年生になつたときから、小學校の名稱は國民學校に變はつたわけであります。ですから、私は國民學校の一年生、日章國民學校の一年生として小學制度に入學した。それまでは日章尋常高等小學校と言つてゐたやうであります。
  そして、第二次大戰が終はつたときに、私は國民學校の五年生。その翌年、私どもが六年生として國民學校を卒業して、そこでまた再び小學校といふ名稱に變はつたわけでありますので、私は丸六年間國民學校に行つてゐた。したがつて、小學校には行つてゐなかつた、かういふことになるわけであります。
  私のさうした小學校時代といふか國民學校時代といふのは、まさに戰爭眞つ盛りの最中でありますから、ひたすら軍事教育を受けてゐた。私どもも軍國少年として育つてきたし、さういふ教育を受けてまゐりました。學校の名前がさういふ名前だからといふことではありませんけれども、まさに毎日毎日、日の丸に接し、あるいは式典その他のときには君が代を歌つた世代であります。
  ですから、全くそのころは違和感はなかつたわけですけれども、しかし、私の記憶によつても、日の丸はともかく、君が代といふ歌は大變に歌ひにくい歌であつたなといふ記憶を持つてをります。そして、戰爭が終はつてすつかり日本の體制が變はつた。そして、新しい憲法ができた。民主主義の國になつた。主權在民といふ理念が打ち立てられたわけであります。  私は、實はたまたまこの間、ある方のお葬式で何十年かぶりに、その私の國民學校時代に、擔任ではございませんでしたけれども、一時期ちよつとお世話になつたこともあり、教はつた女性の先生にお會ひをすることができました。そして、その女性の先生は、私のことを久しぶりに會つたといつて喜んでくださつたのですけれども、實は、戰爭が終はつて餘り長い時間ではありませんでしたけれども、先生は學校をおやめになつた。私は、結婚をされておやめになつたのだらうと思つてゐたのですけれども、實は、この間お會ひをしてお話を聞いたときに、さうではないといふことを聞きました。
  といふのは、その先生がおつしやるには、私は、その戰爭の最中に子供たちに文部省などの方針に從つた教育を施してゐた。ところが、自分が信じて教へてゐたことが戰爭が終はつてみて間違つてゐたこと、そして、私たちが教へようとしてきたことがいかに眞實に反してゐたかといふことを知つた。私は、それについて大きな大きな責任の重さを感じた。そして、このまま教師を續けていくことに自信を持てなくなつた。さういふこともあつて實は教師をやめたんだといふお話を聞いたわけであります。
  私は、確かに子供心に、私どもを教へてくださつた先生が、その戰爭を境にしてどんなにかお苦しみだつたらうといふことを長じてから知る機會が何度もございました。本當に教育者は大變だつたんだらうと思ふことしばしばでございました。さういふ中に、例へば日の丸だとか君が代の思ひといふものも私は込められてゐるのだらうと思ふのです。
  今までこの國旗・國歌をめぐつての全國民的な論議といふものが果たしてあつたかどうかといふことは言へないかもしれません。部分的なものであつたかもしれないけれども、しかし、ある人々にとつては大變な重さでこれが受けとめられてゐるのは間違ひありません。そして、それが現實の問題としては、これはまた後で質問の中でもお聞きをすることになると思ひますけれども、教育の現場でさまざまな問題を起こしてゐる。
  ことしの二月でしたでせうか、廣島縣の高等學校の先生が、この國旗の掲揚などの問題をめぐつて板挟みになつて、みづからの命を絶つたといふ痛ましい不幸な事件があつたといふことにも象徴されてゐるやうに、この國旗・國歌といふものに對する問題といふのは、それぞれの人の思想や良心にかかはつたり、あるいは歴史觀にもかかはつてゐるといふことになるわけであります。この點は、官房長官のお答への中でもしばしば出てまゐります。
  それだけに私は、さう輕々しい問題ではない。例へば、今の不況をどうするかといふやうな問題だとか、あるいはどうやつて食べていくのかといふやうな問題ではないにしても、人間の良心だとか精神だとかにかかはる非常に重大な問題だと考へてゐるだけに、私たち民主黨の中では眞劍な論議が行はれてゐるのだといふことをぜひ御理解をいただきたいと思ふのです。
  そこで、まづ官房長官にお伺ひをいたしますけれども、確かにこの間の本會議での質疑もありましたけれども、國旗・國歌をなぜ今ここで法制化しようとするのかといふ、この理由をいま一度率直にお示しをいただきたいと思ひます。

○野中國務大臣
  日の丸・君が代が長年の慣行によりまして、それぞれ國旗・國歌として國民の間に廣く定着をしてゐることを踏まへまして、提案理由にも申し上げましたやうに、二十一世紀を迎へることを一つの契機といたしまして、成文法にその根據を明確に規定することが必要であると認識をいたしまして、このたび法制化をお願ひをすることとした次第であります。
  ただいま佐々木委員から、みづからの少年期を語りながらお話がございました。佐々木委員と私とは九歳の違ひがあります。けれども、その九歳の違ひは、小學校五年生とそして兵役で終戰を迎へた、その違ひがあるわけでありまして、その違ひを思ひますときに、あと一年足らずも戰爭が續いてをつたら、私はこの席で佐々木委員に答辯することはなかつたかと思ふときに、おかげさまで命をいただゐて、この五十年平和を享受することができて、生かさせていただいた幸せをかみしめてをるわけであります。
  けれども、新しい憲法のもとで我が國がスタートをいたしましたけれども、國家の骨幹となる國旗とかあるいは國歌といふものについて成文化をせず、中途半端に私はその時代をずつと送つてきたやうな氣がいたします。
  今日我が國は國際化が進み、そしてそれぞれ多くの市町村に至るまで他の國々と友好、盟約の都市をつくり上げて、國際交流が進んでまゐります。國際交流が進んでまゐります中で、外國から人を受け入れ、また外國に若い人たちが行く、さういふときに、みづからの國の國旗・國歌、そして他國の國旗・國歌に敬意を表する手段を知らない日本の若い人を思ふときに、教育のありやうに心を打たれるわけであります。
  教育のありようを思ひますときに、この教育の現場で國旗・國歌を掲揚し斉唱することが多くの問題を惹起いたしまして、先ほどお話がございましたやうに、廣島縣の世羅高校の石川校長も、これを斉唱しあるいは掲揚することを人權差別だと言はれる教職員組合やあるいは運動團體の交渉の中に疲れ、そして大變なはざまに置かれて、とうとう命を絶たれたといふ話を聞きました。幾たびか私どもも、また地方の政治をやつてをるときに、この問題をめぐる嚴しい對立のあつた現場を知つてまゐりました。
  二十一世紀をもうあと一年半で迎へる今日、我々はこの半世紀を振り返りながら、積み殘してきた問題をいかに解決していくかといふことの政治家としての責任を考へますときに、今申し上げましたやうに、二十一世紀に新たな問題を少しでも殘していかない、さういふためにも、ここで成文化をしておくことが重要な問題であると認識をさせていただいた次第であります。
  以上、法制化に至る經過を私なりに、佐々木委員がみづからの國民學校時代に觸れられまして申されましたので、やや私も私なりの歩みを觸れながら、感情的なものを入れて申し上げたかもわかりませんけれども、いづれにいたしましても、今日まで慣行とされてきた、そして國民の中に定着した問題でありますけれども、成文法の根據を持つて、これから教育の場はもちろんのこと、國民がそれを理解し、責任を持つて國旗・國歌を誇りを持つてやつていける法文化を目指していきたいと考へ、御審議をお願ひしてをるところでございます。

○佐々木(秀)委員
  官房長官も御自分の體驗を交えてのお話でございました。しかし、今お話がありました幾つかの點は、私は、さういふ御經驗を踏まへ、物事を眞劍に考へてをられる官房長官のお言葉として、直ちに私どもが納得するやうな結論に結びついてくるのかなといふことについては、いささかの疑問を感じざるを得ないのであります。
  例へば、これを法制化しなければならないといふ理由に果たして今おつしやつたやうなことがなるのか。それからまた、國民の間に本當に定着してゐるのかといふふうな問題は、この後に私は聞いていきたいと思ひます。
  それでは、今もお話がありましたやうに、今まで慣習的にずつと國旗・國歌として認められてきたといふお話ですけれども、いまだかつて法制化の試みといふのはなされたことがあつたのかどうか、このことについて確かめておきたいと思ひます。

○竹島政府委員
  お答へ申し上げます。
  私ども調べた限りでございますが、過去に一回ございます。
  昭和六年でございますが、大日本帝國國旗法案が議員立法で提案されました。第五十九回帝國議會でございます。衆議院に昭和六年の二月十九日に提出され、三月二十六日に可決され、貴族院に送附されたわけでございますが、三月二十八日が第五十九回帝國議會の最終日であつたことから、貴族院では審議が行はれず廢案となつた、かういふ經緯がございます。

○佐々木(秀)委員
  もう一回確かめます。それ一度だけですか。それ以外にはなかつたといふことで確認していいですか。

○竹島政府委員
  法案としては提案はされてをりませんけれども、昭和四十九年、田中内閣において、田中總理が法制化といふことについて國會で答辯されてをられる、かういふこともございます。

○佐々木(秀)委員 つまり、戰前には、一度それが試みられたことがあつた。しかし、一院では通つたけれども、一院では通らなかつた。それで、廢案になつたといふことですね。つまり、これを通すための會期の延長などといふことも行はれなかつたといふことになる。戰後については、今日まで一回もなされなかつた。田中總理の法制化についての御意向を表明した御發言はあつたけれども、しかし、法制化の試みは今回が初めて、かうなるわけでありますね。それだけに、私は今回は重いと思ふのです。
  それで、さつきも官房長官お話しのやうに、また私が少年時代の話をしたやうに、私どもの意識としては、國旗・國歌といふ思ひが毎日日常的にあつて、おつき合ひもして、その意識は、それこそ國民の間にはその當時すつかり定着してゐた。さういふ時期でも、政府は、日の丸を法制化する、君が代を國歌とするといふ法制化の試みは全くしなかつたわけです。これはどうしてなんでせうか。あるいは、これを現政府はどのやうに受けとめてをられるのか。官房長官、御感想を伺ひます。

○野中國務大臣
  その當時、法制化のことがどう考へられなかつたかといふことを今さら檢證することは不可能でございます。
  ただ、私どもがこの機會にやはり法制化をお願ひしておくべきだと考へましたことは、長い間慣行となつて國民の間に定着をいたしてをりますものの、先ほども申し上げましたやうに、教育現場を中心といたしまして、國旗・國歌をめぐりましてはそれぞれ對立や爭ひのもとになつてきたこの五十年を振り返りますときに、その中心は、私も現場で知つてをりますけれども、どこに根據があるんだ、根據があつたら示せといふことが交渉の中心でありました。
  それぞれその衝に當たつてをる人たちは、法文化の根據がないことに大變な苦しみを味はひながら、例へば、學校現場では廣島の世羅高校の石川校長のやうに、指導要領のみで根據を示せと言はれて、そのはざまの中で大變な孤立感を強めてこられたといふことを思ひますときに、私どもは、この二十世紀の締めくくりとして、二十一世紀へ次の問題を引き繼がないためにも、ここで法文化の明確なことをしておくべきでなからうかとお願ひを申し上げた次第であります。

○佐々木(秀)委員
  今の御答辯を聞いて、はしなくも政府の本音が出てきたやうな感じが私はいたします。
  きれいごととしては、二十一世紀、新世紀を迎へるに當たつて、ここでいはば國のシンボルとしての國旗あるいは國歌といふものを、國民の間に定着もしてきてゐるんだから、お互いに確認をして大切なものとするためにといふやうに言はれてきたのぢやないかと私は思ふのだけれども、今の官房長官のお話だと、實はこれが、教育現場でこれをめぐつていろいろな問題が起きてゐる、これを法制化することによつて、さういふことが法的な根據を與へることによつて解決できるのではないかといふやうな御趣旨に私は今お聞きをいたしました。そこにやはり動機があるのかなと實は承つてゐたわけであります。
  先ほど來申し上げてをりますやうに、定着の問題だとか、果たしてこれが法制化されても、さういふ教育現場でのいろいろな錯綜といふものが解消されるのか、これについては私は非常に疑問を持つてをります。持つてをりますけれども、これはちよつと後に置いておきます。
  それで、今のお話でも、先ほど來の御答辯の中でも、國旗・國歌といふものが、日の丸・君が代が國民の間に定着してきたといふやうなこと、あるいは、今まで法制化されたことがなかつたのは、慣習としてあるいは慣習法としてこれが根づいてきたんだといふお話がこれまたありました。
  確かに、これは、諸外國の例を見ても、國旗や國歌の定め方といふのはさまざまだと私は思ふのです。例へば、フランスでは、國旗・國歌ともに憲法に規定が置かれてゐる。ところが、イギリスでは、慣習として位置づけられて、國旗・國歌に係る法令はない。それからまた、イタリアでは、國旗は憲法、國歌は慣習として認められてゐる、あるいは歌はれてゐる、演奏されてゐる。かういふことになつてゐるのですね。
  このことは、實は、過日の本會議でも、私ども民主黨の代表質問に立つた伊藤英成さんがこのことを指摘してゐるわけです。それからまた、先ほどの御答辯の中でも、慣習あるいは慣習法の重みといふやうなものについてもお話がありました。私は、まさにさうだと思ふのです。
  そこで、實は、私どもの民主黨の幹事長代理の鳩山由紀夫さんから、先日、ある示唆に富んだお話を承りましたので、先ほど、彼にそれを披瀝していいかと言つたら、いいといふお許しを得ましたので、ここで御披瀝を申し上げて、皆さんにもお考へいただきたいと思ふのです。
  といふのは、鳩山由紀夫代議士が、今から一月ぐらい前ださうですけれども、もう引退なすつた松野頼三先生にお會ひになつたさうです。松野頼三先生とこの國旗・國歌の問題について話をする機會があつたさうです。さうしたら、そのとき、はしなくも松野頼三先生が、戰後先生が國會に來られたとき、まだ保守合同の前だつたさうですけれども、一年生か二年議員のときだつたさうです。この松野頼三先生たちは、その當時の若手の議員たちが、國旗・國歌を法制化した方がいいのではないかといふ議論の上で、その法制化の準備をしたことがあつたさうです。
  さうしたら、そのときに、松野先生たちの先輩だつた、もちろん私どもにとつても大先輩でありますけれども、後に衆議院の議長をお務めになつた星島二郎先生が、その松野先生たちの法制化の動きについて、君たち、さういふことを、國旗・國歌などといふものは輕々に法律をつくつて定めるといふべきものではない、イギリスの例にも見られるやうに、慣習としてあるいは慣習法の裏づけがあつて國民の皆さんの中に認識をされ尊重をされる、さういふことが大切なことではないのか、つまり、法制化するといふことは法律によつて定めるといふことなんだから、あるいは政權がかわつたり、また政治状況が變はつて、その法律を變へることによつて別な歌を國歌とし、あるいは別な旗を國旗とするといふことだつてできるんだよといふことを言はれたさうです。  慣習法あるいは慣習によつてといふことになると、そんなことにはならないんだ、だから、さういふ法律によつてでない方がもつと重みがあるんだ、國旗・國歌といふものはそれによつてむしろ大事にされるんだといふお話があつて、松野先生たちはその法制化をしようといふ活動をおやめになつた、さういふエピソードを鳩山由紀夫さんにお話しになつた、そのことを私は聞かされたわけです。
  そのことを思ふにつけても、私は、やはりここで法制化するといふことについては愼重に考へていくのがいいのではないか、それがあるべき姿ではないかと思つてゐるわけであります。私は大變示唆に富んだ話と承つてをります。
  このことについて、傳聞でありますから、直接のことではありませんから大變恐縮ですけれども、官房長官、御感想ありますか。

○野中國務大臣
  大先輩であります松野先生のお言葉を、鳩山先生を通じて御紹介されたわけでございます。松野先生が當選をされまして一年生、二年生の時代といふことを振り返つてみますと、恐らく、星島二郎先生たちが政界のトップにをられて、時代を背景として考へますと、あの當時さういふお言葉が出て當然であつたであらうと私は思ふわけでございます。
  ただ、それからはや四十年餘りを經過した今日の状況を考へますときに、教育の中に位置づけられた國旗・國歌、あるいは我が國全體社會における國旗・國歌、あるいは、國際交流が進む中におきまして、先ほど申し上げたやうに、他國の國旗やみづからの國の國旗・國歌に對して敬意を拂ふ、さういふ教へられ方をしておらない國民の教育のありようを考へたときに、やはり私どもとしては、この際、二十一世紀を前にいたしまして、ここで法制化をお願ひすることが我々のとるべき道であらうと考へた次第でございます。

○佐々木(秀)委員
  どうもそこのところが私は納得いきません。我が國の旗として日の丸を法制化することによつて、例へば子供たちが外國の國旗に對する尊敬の念を持つといふことにつながるのかどうか、これは全く別の問題ぢやないでせうか。
  私は、國際的な日本の位置づけの中で、よその國と仲よくし、よその國の人々を敬い、そしてまたそこで用ゐられてゐる國旗を大事にするといふやうなことは、別にこの法制化とはつながらない問題だと思ふんです。そんなことは子供たちの中に、いろいろな教育の仕方で幾らだつて教へていけることだし、それによつて他の國に若者たちが迷惑をかけた事例があるのかといふと、そんなことを私はつまびらかに聞いてをりません。
  むしろ、かつて一時期、長崎において、在日中國人の方だつたでせうか、日本の國旗を燃やしたことがあつたといふことで物議を釀したことがあつたといふやうなことはありましたけれども、今、我が國の少年、青年たちが海外に出ていく。このごろは、例のワールドカップのときなんかにも隨分サポート、行きましたよね。だけれども、彼らなんといふのは、大變姿勢がいいといふことで褒められてもゐるわけですね。さういふ人たちが以前に比べて、他國に對して、その國旗などに對して無禮を働いてゐるなんといふことで問題になつたことは餘りないんぢやないでせうか。それだけに私は、今の官房長官のお話といふのはどうもちよつと納得がいかないんですね。
  それから、幾つか腑に落ちないことがあるわけですけれども、盛んに國民の間の定着性といふことを言はれる。私は逆に、定着してゐるんだつたら何も法律で決めなくたつていいぢやないかといふ議論だつて成り立つと思ふんですが、しかしもう一つ、果たして定着してゐるかどうかといふことについては、何によつて、何を根據にして、何を檢證されてさう言はれてゐるのか、これもまたはつきりしないところがある。
  確かに、この問題をめぐつて報道機關が獨自の調査をされて、たびたび發表をされてをられます。例へば最近では、六月三十日附の朝日新聞では、これについての世論調査の結果を發表してをられます。
  ところが、これについては、少なくとも全部が全部日の丸・君が代の法制化に贊成してゐるといふわけではない。法制化について、必要だといふ意見が四七%に對して、必要のないといふ意見が四五%、ほとんど拮抗してゐるわけであります。しかも、これを今通常國會で成立させなければならないかどうかといふことについては、この通常國會で成立させることについては急ぐべきでない、もつと議論を盡くすべきだといふのが全體の六六%にも及んでゐるといふわけであります。
  そんなことを考へますと、一つは、定着の度合ひといふのは、これで見るやうに、いろいろ認識はあります。しかし、少なくとも八〇%、九〇%といふところまでいつてゐるかといふことになると、いろいろ問題がある。しかも、國旗と國歌が一樣ではない。國旗の方については、日の丸については國旗と認めるにやぶさかでないといふ人が確かに多いけれども、君が代については、その歌詞あるいはメロディーなどからいつて、どうも違和感を感じるとか親しめないとかいふやうな意見が旗に比べると大分多いんですね。かういふやうに、一樣ではないといふこともあります。
  ところが、今政府が出されてゐる法案は、國旗及び國歌に關する法律といふことで、條文としてはたつた二條しかない。極めて少ないんですね。これを旗と歌と一緒にしてゐる。それで、旗についてはかういふデザインが入つてゐる、そしてかういふ樂譜がついてゐる。珍しいですね。
  今まである日本の法律、どのぐらいになるか數知れずですけれども、かういふ法律といふのは初めてでせう、文字以外のものがかうやつて法律の中に書かれるといふのは。極めて異例だと私は思ふんだけれども、せめて、今の國民の世論などを考へた場合に、國旗と國歌の扱ひといふのは、私は別であつてもいいのではないかといふ思ひがするんですよ。なぜこれを一緒にしなければならないのか。
  これを一緒にするんだつたら、もう一つ、國花といふのがあります。日本の國の花、何。何でせう。私はよく聞くのは、直ちに言はれるのは、菊ぢやないかとか、あるいは櫻ぢやないかとか、これはいろいろ違ふんでせうね。
  實は私の地元の旭川市は市の花として決めてゐる花があるんです、ナナカマド。市の鳥としては、このナナカマドの實をついばみに來るキレンジャクといふ鳥がゐて、これを旭川の鳥だなんて勝手に決めてゐるんですけれども、別に條例で決めてゐるわけではありません。しかし、市民の間には定着して、みんなさう思つてゐます。いろいろなデザインにも使つてゐます。
  かういふ國旗だとか國歌だとかといふのを法律化するんだつたら、それぢや日本の國の花、フラワー、これについても、菊なのか櫻なのか決めようかといふ議論が出てきてもをかしくないし、だけれどもやはり、こんなものは私は必要がない、みんながさう思つてゐればいいことだ。あるいは、日本の國の山は何か。これはだれしも富士山と言ふと思ふんです。これもそれぢや法制化する必要があるか。こんなことは意味がないと思ふんです。 それぞれのことを考へると、私は、何もここで法律で決めたから大事にされる、大事にされないなんといふことになるものではないんだらうと思ふんです。むしろ、國民がその旗にあるいは歌に親しみを覺えるかどうか、そしてそれを大事なものと受けとめていくかどうか。むしろそちらにかかつてゐるんぢやないかなと思ふんですね。さういふ意味では、日の丸と君が代とには大分差があるんだらうと私は思ふんです。
  特に君が代については、政府の全體の歌詞の解釋といひますか、その意味内容、ここのところ、いろいろな答辯を見てゐますと隨分違つてきてゐますね。これは、質問主意書、非常に石垣先生から丁寧な御質問があつて、それに對して政府が答辯してゐるのがありますけれども、このときの答辯と、今度のこの國會での論議が始まつてからの本會議での答辯なんか、この歌詞の解釋、隨分違つてゐますよね。
  そして、例へば君が代について言ふと、「君が代は」といふのは時代的なものだけではなくて國もあらはすんだといふやうなことまで言はれてゐる。ところが、その後に「君が代は千代に八千代に」と續いてくる。ここで使はれてゐる「君が代」の「代」と「千代に八千代に」の「代」とは同じ文字なんですよ。
  さうすると、これはどういふことになるんですか。君が代の「代」は國だとすると、千代の方も、これは時代的な感覺ぢやなくて國の意味もあるんだ、これはどう考へたつて、どう解釋したつてをかしいでせう。
  私は、せめてこの「代」が世の中の世、世界の世だといふのならまだわかりますよ、社會だとか國だとかといふことをあらはすと。だけれども、「代」といふのは、これはだれがどう見たつて時代の代ぢやないですか。事ほどさやうに政府の態度といふのは一貫してゐない。どれが本當に正しいのかといふことについて、むしろ國民の皆さんに混亂を與へてゐるんぢやないでせうか。
  それと、大體法制化についての態度も違ふでせう。ことしの二月段階では、小渕總理大臣は法制化しませんとはつきり言つてゐたぢやないですか。それを二轉三轉して出してくる。この間、本會議での答辯では、よくよく考へたらといふことをおつしやつた。よくよく考へた結果どうなつたから法制化するんだといふそこがない、缺落してゐるぢやないですか。よくよく考へたら、もう一遍やめればいいぢやないですか、そんなことなら。さう言つたつてをかしくないでせう。
  官房長官、そこをどうすり合はせたんですか。そのよくよくの話と今の君が代の解釋の違ひ、變遷、この邊についても全くこれは無責任だと私は思ひますよ。これはどうなんですか。

○野中國務大臣
  私、佐々木委員と論爭する氣は全くございませんけれども、君が代及び日の丸が國民の間に定着をしてをるといふことにつきましては、昭和四十九年十二月に總理府廣報室が國旗・國歌に對する世論調査を行つてをります。この際におきます日の丸の旗は日本の國旗としてふさはしいと思ふ者の比率が八四%、君が代は日本の國歌としてふさはしいと思ふ者の比率は七七%でありまして、大多數の國民は日の丸が國旗であり、君が代が國歌であると考へてをるといふことが當時の調査からもうかがへるわけであります。
  また、今回政府が國旗・國歌の法制化につきまして檢討に着手することを表明いたして以來、報道各社におかれましても、先ほども朝日新聞の調査の結果について御紹介がございましたけれども、それぞれ報道各社の調査の結果も、國旗・國歌に關する問題は、先ほど申し上げたこととさう變はらない結果を出してをるわけでございます。
  さういふ經過を踏まへまして、私どもといたしましては、一方における我が國の國旗・國歌がオリンピックやあるいは國の内外で廣く認識をされてをるといふこと、すなはち定着をしてをるといふことを裏づけるものの民意であると考へてをるわけでございます。
  總理の答辯が變更したのではないかといふ御指摘でございますけれども、六月二十九日の衆議院の本會議で伊藤英成議員と志位和夫議員の質問に對しまして、君が代とは、日本國民の總意に基づく天皇を日本國及び日本國民統合の象徴とする我が國と答辯をしたものでございまして、この答辯は、基本的にこれまでの總理大臣及び文部大臣の答辯の趣旨を踏まへもして論理的に整理をしたものでございまして、それが食ひ違つてをるといふことではないわけでございます。
  なほ、總理が本會議場でよくよく考へてといふ言葉を使はれましたことについてお話がございましたが、確かに、總理が委員會審議を通じまして現在法制化を考へておらないといふ答辯をされましたことは事實でございます。
  けれども、その後、はしなくもと委員はおつしやゐましたけれども、私考へますと、今からも重くも、廣島の世羅高校の石川校長が、日の丸・君が代の掲揚、斉唱を通じて、そして激しい交渉の中から、その大變な交渉過程を經て、孤立感の中からついに自殺をされたといふ重苦しい、また犧牲の大きい、再び起こしてはならない問題に私どもとしては直面をしたわけであります。
  これについて、參議院におきましても具體的な質問が相次いで、同じ廣島で經驗をされた宮澤大藏大臣からも、一人の政治家としての眞情を吐露される發言もあつたわけでございます。
  かういふことを考へ、いろいろな側面を考へますときに、やはりこの機會に、二十一世紀に先送りすることなくこれを法制化することが我々政治家に與へられた責任であると考へて、今回御審議をお願ひすることにした次第であります。

○佐々木(秀)委員
  官房長官はしきりに小渕總理大臣のことを氣遣われる。それは確かにさうでせう、さういふ補佐役なんですから。わかるんだけれども、しかし、その御説明を聞いても、總理大臣の言はれた、あるいは政府としての見解といふものが明らかに君が代について違つてゐるといふことは否定できないと私は思ふんですよ。前のときには象徴天皇と言つてゐたんですから。今度は、象徴天皇と結びつけながら、そして主權者である國民と結びつけながらではあるけれども、さういふ國をと言ふんでせう。國の繁榮を祈つてゐる、願つてゐる、さういふ言葉だ。これは明らかに變はつてきてゐるんですよ。僕は自信のなさのあらはれだと思ひますよ。
  それと、本當に官房長官が言はれるやうに重いものとして受けとめてやつてゐるのかどうかといふことについても、いささか疑はしい思ひを禁じ得ないんです。これについてはまだこれから議論をしなければならないと思ひます。
  それから、當委員會としては來週、地方の公聽會、中央の公聽會、これも豫定されてをります。國民の皆さんの意見を十分聞きながら對處していく必要があるだらうと私は思つてゐる。
  少しこの法律の中の議論。まことに簡單な法律ではあるんだけれども、こんな二條しかない法律でも幾つかの疑問點が出てくるんですね。
  例へば、第一條を見てください。最初、第一條「國旗は、日章旗とする。」とあるんですけれども、ここで書かれる、假に成立して六法全書の中におさめられてもこのままなんだらうけれども、ここが赤くないんですよ、丸は。黒いんですよ、黒丸なんですよ。日の丸ではない。それで、色のことを書いてないのかなと思つたら、さすがに書いてあつた。「彩色」と書いてありますね。「日章」、ただ、この後は何と讀むんですか。コウショクと讀むんですか、クレナイイロと讀むんですか、ベニイロと讀むんですか、これは何と讀んだらいいんですか。  そして、私はさつき國民學校時代のことを御紹介しましたが、私は君が代をもちろん覺えてゐましたけれども、音樂の先生から君が代を教はつたといふ記憶はないんですよ。だけれども、覺えてゐる。音樂の教科書に載つてゐて教はつた歌として、「白地に赤く日の丸染めて、ああ美しい日本の旗は」、これは覺えてゐるんです、これは教はつたんです。
  さういふことを考へると、白地に赤くなんだけれども、これはクレナイイロだかベニイロだかコウショクだとかと書いてある。赤い色とどう違ふんですか。どうして赤い色と書かないんだ。

○竹島政府委員
  紅色といふふうに書いてありまして、赤とは書いてゐないといふことについてお答へ申し上げます。
  一つは、赤とした場合には、白に近い赤から黒に近い赤まで、赤といふ色の意味する範圍が廣い。それに對しまして、日章旗の日の丸の色といふのは御案内のとほり鮮やかな赤。その鮮やかな赤といふことを意味するために、赤色ではなくて紅色といふことで特定性をより正確にしよう、かういふことで紅色といふ表現にさせていただいてをります。

○佐々木(秀)委員
  確かに、廣辭苑を私はとつてみたのです。さうしたら、紅といふのは「ベニバナから採つた鮮紅色の色素。」なんて書いてあつて、紅色といふのは「鮮明な赤い色。くれない色。」かう書いてあるのですね。
  だけれども、今言はれたやうに、鮮やかな赤い色かどうかといふのは、その赤い色を見ただけで、日の丸を見たつてわからないぢやないですか、こんなのは。鮮やかなのか鮮やかでないのか。何にしたつて、日の丸といふのは、僕らの意識では、白い地に赤い丸がかかれてゐればそれが日の丸だと思つてゐるのですからね。鮮やかであらうかどうかなんて餘計なほ世話だと思ふのだ。この邊がどうも何だか、何でこれをわざわざ赤と書かないのかといふやうなこと。
  あるいは、これもどうしても一つわからない。大體、さつき私は私の母校の名前が日章だと言つたのだけれども、日の丸、日の丸と言はれていながら、ここに日の丸といふ言葉は出てこない。日章と書いてある。日章とは何ですか。

○竹島政府委員
  お答へ申し上げます。
  日の丸か日章旗かといふことについて檢討したわけでございますが、日の丸といふことでございますと、いはゆる日の丸の旗を意味するといふふうにも當然使はれてをりますが、その日の丸の旗の中のまさに紅色の部分の丸を意味するといふふうにも使はれてをりまして、法律用語として使ふ場合には、やはり日章旗、要するに日の丸の旗のことでございますけれども、日章旗といふふうにする方が適當であるといふふうに至つたわけでございます。
  それから、日章とは何か、まさに日の丸でございます。

○佐々木(秀)委員
  ややこんにやく問答めいて恐縮なんだけれども、むしろ日の丸といふと俗稱、俗稱なんですかね、日の丸は。日の丸の旗、日の丸と君が代、かう言つて今論議してゐるのです。日章と言ふより日の丸と言つた方がみんなにはぴんときさうな感じがする。これをわざわざ日章といふ言葉を使つてゐる。私の母校の名前を使つていただいてありがたいのですけれども、この邊もこれでいいのかなといふ思ひがする。
  それと、附則の方に行きませうか。
  附則の三項で、日章の中心の位置について、この日章の中心といふのはまさに日の丸なんでせうね、今のお話だと。これについては、「旗の中心から旗竿(ざお)側に横の長さの百分の一偏した位置とする」、かうなつてゐる。
  旗ざをの側といふけれども、常にこの旗が旗ざをにつくとは限らないでせう。後ろに張つてある。別に旗ざをなんてどつちにつけたつていいんでせう、假につけるとすれば。なぜこれは右、左と書かないんですか。

○竹島政府委員
  附則の三項で、當分の間、今御指摘のございました、日章の位置を旗の中心から百分の一偏した位置とすることができると書いてございますが、これは、根據は明治三年の太政官布告による商船規則でございます。これは、日本の船に掲げるべき國旗として定めたわけでございますが、旗ざをに掲揚するといふことを前提にこのことが決められてゐるといふふうに我々は理解してをります。
  何ゆゑに百分の一旗ざをに寄せてゐるか。左とか右ではございません、旗ざをに寄せるといふことが商船規則の考へ方でございます。
  これは我々の解釋でございますが、やはり旗ざをに日章旗を掲揚した場合には、その見たときの安定感、それは旗ざをの方に百分の一偏つてゐる方がバランスがいい、さういふところからあへて、百分の一旗ざを側に寄せなさい、かういふ規定を當時したものといふふうに考へてをりますが、それが商船、特に船の世界では連綿と受け繼がれてきてをりますので、そのことを、今回この法律をお願ひするに當たりまして、それはいけませんといふことはございませんので、當分の間、引き續きさういふふうにして扱ふことはよろしい、かういふ意味で附則を入れさせていただいたわけでございます。

○佐々木(秀)委員
  どうもわからない。つまり、旗がつくられた場合に、さうすると向かつて左と右とで寸法が眞ん中からやつた場合に違ふよ、百分の一違つてゐるよ、かういふことになるわけでせう。
  旗ざをといふのは、例へば向かつて左につけようと右につけようといいのでせう、どちら側と書いてゐないんだもの。だから、旗ざをを基準にして、百分の一偏した位置にするといふ記載自體が私は非常に不合理だと思ひますよ。合理的ぢやないんぢやないですか。

○竹島政府委員
  旗ざをに掲揚した場合でございますから、旗に表、裏はございませんけれども、右も左といふこともない。要するに、旗ざをに掲揚するといふ場合の旗のことをここでは言つてゐるわけでございまして、したがひまして、それを例へば壁にそのまま旗ざをぢやなくて掲げるといふこともあるかもしれませんが、それは、さういふ旗は旗ざをにかかるやうにはなつてゐない、一つの旗だと思ひます。さういふものがたまたま片方に百分の一寄つておつても、それは結構でございますといふことでございます。

○佐々木(秀)委員
  つまり、私たちの日の丸の認識としては、要するに白いところに丸いのがきれいにかかれてゐれば、私たちは日の丸だと思つて認識してゐるのですよ。何も、何センチで、寸法がどうのかうのなんといふことを考へてゐるんぢやないのだ。それを法律で書かうとするからかういふことになつちやうんですよ、決めなきやならないから。
  私は、そんな形式的な問題ぢやないだらうと思ふのです、もつと大事なことといふのは。要するに、その旗が國旗なら國旗としてみんなに認識される。それは基本になるのは白地に赤い日の丸だ、これでいいんだらうと思ふのだ。それをわざわざ法律でかうやつて決めようとするから、こんなしち面倒くさい、わからないやうなことになつちやうのだ。
  それで、今はしなくも御答辯にあつたやうに、「當分の間、」と言つてゐる。「當分の間、別記第一の規定にかかはらず、」云々、寸法についてかうなつてゐる。當分の間といふのは、これはまさに時間を言つてゐるのですよね、時間の間隔。當分の間といふのはいつからいつまでなんですか。そして、當分の間といふ想定されたその期間が過ぎたら、これについてはどうしようと考へてゐるのですか。これをお答へください。

○竹島政府委員
  旗の制式につきましては二つございまして、本則の方に、別記一のところに書いてあるとほりでございますが、縱は横の三分の二といふふうに、これはいはゆる國聯方式と言はれる旗の制式でございます。今回それを、ここに書いてありますとほり、別記一の本則にさせていただいてゐる。
  ところが、歴史的に、先ほど來申し上げてゐますやうに、明治三年の商船規則によつて、この附則の三項のやうな制式が日本では既に存在して、ずつと來てをりまして、これが慣習法と言はれるものの根據でございます。  したがつて、現實に存在するわけでございますので、さういふ商船規則にのつとつた日章旗の制式は、今後ともよろしいといふことにさせていただく。要するに、この法律が成立した曉に、ある日を期して旗のサイズを全部この三對二の方に統一してくださいといふことは適當ではないといふ判斷がございます。
  したがつて、本則は三對二のいはゆる國聯方式にさせていただきますけれども、當分の間、その當分の間の期間は、新しく旗を買ひかへるとか新しくするときには、三對二にされるのもよし、傳統を守つて十對七の方の商船規則の制式を守るといふ場合もそれもよし、かういふことでさせていただきたい。したがつて、具體的に何年といふ年限を考へての當分の間ではございません。

○佐々木(秀)委員
  わからない。それぢや、何でわざわざこんなことを書くのか、わからない。全くわからないことが、たつた二カ條しかない、そして三つの附則しかないこの法律の中でもあるのですよ。
  時間がもう迫つてをりますから、本當は私はたくさん聞きたいことがあるんです。
  例へば、今度は君が代の方だ。さつき
   君が代は   千代に八千代に の話が出たのですけれども、
   さざれ石の
   いわおとなりて
   こけのむすまで
あたりだつて、これはわからないね。さざれ石といふのはどんなものだらう。これも私は引いてみたら、細かい石だといふのだね。砂粒みたいなものだ。さういふものがどうやつていわおになるんだ、わからない。
  それでも、これはまあ古歌としてずつと歌ひ繼がれてきたのだから、いろいろもとの歌詞も、あれは歌詞といふか、歌の文句も違つてゐたやうですね。昔は「我が君」と言つたこともあるんだといふやうなことも言ふけれども、それが「こけのむすまで」、これは、さつきの總理大臣の變はつた答辯によると、永久に國民主權である、そして、天皇を象徴にされてゐるこの日本國の永久の繁榮を願つてゐるのだと言ふけれども、「こけのむすまで」、「むすまで」といふのはこれは時限ですよ。リミットですよ。永久にではないですよ。だけれども、さざれ石がいわおになるといふことはないだらうからといふのでせう。理屈に合はないのだ。こんな議論も本當はしたいのだけれども、ここは時間がないからやめます。  それで、私は質問通告してゐることの實は三分の一もまだ聞いてゐない。文部省にもついにお伺ひできなかつたのです。ただ、私の豫定した質問については、私のこの後で同僚の藤村議員が、教育の問題などについてもお聞きになるやうですから、そちらにお讓りをすることでお許しをいただきたいと思ひます。
  ただ、何にしても、さつきの世論調査などでも出てゐるやうに、愼重に審議をなさい、何もこの通常國會で、延長されたからといつて慌てて決めることはないですよといふ意見が強いことは率直にお認めいただきたいと思ふのです。
  そして、例へば一つの參考例として、かつて建國記念日を定める議論がございまして、國民の祝日に關する法律の一部改正がなされました。このときには、昭和三十二年の二月に、この建國記念日を祝日とする法案が國會に出されたけれども、これが第二十六國會に出された後に、二十八、三十八、三十九、四十、四十一、四十二、四十三、四十四、四十六、四十八、そして昭和四十一年の五十一國會にまで及んでゐるのですよ。五十一國會で昭和四十一年に、つまり、提案されてから九年かかつてこれが成立してゐるのですね。  かういふことを考へた場合に、私は今、延長したとはいいながら、通常國會でやつと國民的な全體の議論が始まつたと思はれるときに、成立を急ぐべきではない。もつと國民の皆さんからの意見をどんどん聞く。そして、國會での審議も行ふ。それで、今は尚早だと思へば次の國會に送るといふことだつて私はあつていい。いたづらにただ私たちはこの審議を引き延ばすとか、そんなことは考へてゐません。本當に眞劍な論議をして、國民的な合意が得られるかどうかを確かめて、その上で決めても遲くないのではないかと考へてゐるわけであります。  そこで、このことについて官房長官と、それから最後には委員長のこの審議での態度といひますか、このことについてお伺ひをしたいと思ひます。官房長官、どうですか。

○野中國務大臣 法案として國會に提案してお願ひを申し上げ、當委員會において御審議をいただいてをるわけでございますので、ぜひ愼重に御審議をいただきまして、可決、成立をいただきますやうお願ひを申し上げる次第であります。

○佐々木(秀)委員 委員長、くれぐれも拙速にわたらないやうに、十分な上にも愼重に、十分な御審議を盡くすことをお約束いただきたいと思ひますけれども、どうですか。

○二田委員長 佐々木委員お尋ねの件でございますが、委員長としましては、本件の審査につきましては、各黨間の御協議に基づきまして、ただいまその審議を鋭意進めてゐるところでございます。
  本日までに公聽會、委員派遣等を行ふことをまた御決定もいただいてをり、もちろん國民から幅廣く意見を聞く等、愼重に審議を進めてまゐりたい、そのやうな態度で臨んでをるわけでございますので、御理解をお願ひ申し上げます。

○佐々木(秀)委員
  時間が參りましたから、まだまだお聞きしたい、あるいは意見の交換をしたいことがございますけれども、またこの次の質問のときに樂しみに殘しておきますので、どうかよろしくお願ひいたします。けふはこの程度にいたします。ありがたうございました。

(続く)

その二へ


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